てんどうちひろの介護日記

父の介護を綴りました

父の体の具合

イルクォーレ狭山へ入居するにあたり検査した結果について自分としては大変納得のいく内容だった。

 

認知症について。CTスキャンなどから隠れ脳梗塞が複数起きていた形跡が見つかった。このためその時々で記憶力低下、認知能力の低下が段々と進んで言ったようだ。だから本人は一時的な不調は感じるものの突然の意識変化が起きず最後まで「自分はまとも」だと信じていたと思われる。ある意味、自制するきっかけがなかったとも言えるかもしれない。

 

健康検査では、高血圧と脊柱間狭窄症が見つかる。足が上がらずヨタヨタ歩きになった原因である。痛みを避けるような歩き方を長年行ったせいで足腰が固着し上がらなくなったと思われる。結果、芝中団地の4階への上り下りも苦になり、面倒になったのではないだろうか。

部屋で毎日テレビを見て、昼寝して、気まぐれに食事する生活を10年以上続ければこうなるかと納得である。

入居後はタバコは吸えなくなり、規則正しい生活を過ごすことになる。これはこれで入居初日大変だったが・・・。

独り暮らし再び

市の生活支援センターに相談してほどなく空き部屋があるという情報をいただく

藁をもつかむ思いとはまさにこのことかと実感する。内容を詳しく聞くことなく入居へ向けて連絡を入れていた。それで介助の水準、居住費の程度など可能な限りの情報を集めて検討らしきものはしてみる。

 

年金収入の範囲内でギリギリ収まりそうなこともあって即決する。内心、ギリギリであることから介護度が上がる、買い物が増えればすぐにオーバーすることは承知の上である。

 

入居までの1か月はある意味大変だった。一番大変だったのは健康診断と認知症の認定検査だった。しかしこの2つの検査によってわからないことがクリアになり自分的には納得の出来事だった。

 

ほどなく入居の手続きも終わり2020年6月、イルクォーレ狭山にて父の独り暮らしが始まる。父は「高円寺に住みたいから不動産屋に連れてけ」私が「独居老人に部屋を貸すところはない」と言い合い。挙句に父はタクシーに乗って行くと声を荒げ、一人で出歩く際(タバコを吸いに外出)にタクシーが通らないかキョロキョロしながら歩く始末。本気だっただけにこっちはヒヤヒヤの毎日であった。

在宅介護の終焉

父は独り暮らしを再開する気満々。「高円寺の不動産屋へ連れていけ。部屋を探す。」といって同居を否定。ついには同居に応じる返事はしていない。強制的に同居させたお前の勝手だと言われてしまう。一応、毎回説明というか説得し渋々であったが「分かった」「そこまで言うならお前に任せる」と言ってくれたことを信じて同居に踏み切ったがすべてなかったことになっているのだと理解する。

 

カミさんに対しては随分と横柄な対応らしい。昔の職人だから女性や主婦に対する偏見・固定観念で話(命令に近いらしい)をするからカミさんの疲弊が強まる。

 

息子に対しては先のケンカ以降口を利かない。出てくる言葉は「だから障碍者は・・・」と自分の知る父からは想像できない差別的発言で罵る有様。

 

娘に対しては「なんで働きに出ないんだ」と彼女がうつで会社を辞めたことを忘れてしまっている始末。毎回うつの話をするのは自分も娘もつらいので適当にはぐらかしてごまかす。

 

結局、若年性認知症を発症したカミさん、アスペルガー症候群の持病を持つ息子、ADHDとそううつを発症する娘と認知症の父との同居には無理があったのか。

だが自分の考えはすでに決まっていた。父の都合よりも家族を守ることを優先すると。

 

介護支援センターに老人ホームの相談をしつつ自分でも入居可能な施設を探すようになり資料を集める日が続く。

衝突

在宅介護当初より心配していたことが現実となる。

妄言:デイサービスへ出行く前、引き出しをごそごそしていることが多い。どうも下した貯金(10万)を隠しているつもりなようである。それ自体は構わないのだがデイサービスから帰ってきての第一声がカミさんに対して「預けたお金を返してくれ」ということで初めは毎日、言い争いになっていた。父曰く「出かける前にお金をカミさんに預けた。」という。認識がすり替わっているのである。当然ながらカミさんは「知らない」と応じ言い争いになり、「引き出しとかないですか?」と探してもらうと見つかるので静かになってテレビを見始める。ということが続いた。先の朝の行動を偶然見ることができたカミさんはそれ以降は同じことを言われるものの「しまっていませんか」と返して引き出しを探しよう促すことで言い争いはなくなった。しかし父はカミさんのことを「俺の貯金を奪う者」「信用できない」認定しておりおのずから家の中での会話は最小限となりカミさんも2階の部屋に閉じこもるようになってしまった。

衝突:息子との衝突はある意味決定打となった。発端は介護ベッドの位置を直したいと思った父の無理な命令(依頼ではなく命令)である。大学から帰宅した息子に対しベッドの位置を直すように命令。この時点で息子はすでに頭に来ていたと思われる。介護ベッドは重く一人では動かせない故、そのことを説明すると「若いんだからできるだろ」「簡単だろ」と思い通りにならないことでヒートアップしてしまったようである。感情的になった父の言い方に息子も耐えられず息子も息子で感情的に応酬。かなりの大声で喧嘩状態だったようである。私の帰宅後、顛末を双方から聞き取り。息子には父の認知症のことを改めて説明し理解を求める。また父とは基本的に関わらないように何かあれば私にメールするよう話をする。息子も手が出そうなのを我慢できないから関わりたくないと言うので距離を取らせるようにする。父は父で息子の子ことを障碍者扱いする始末。息子がアスペルガー症候群の診断を幼少期に受けており現在も療育センターに通院していることは知っているのに「これだから障碍者とは一緒に住みたくないんだ。独り暮らしに戻るから不動産屋へ連れていけ」と騒ぐ。この一言を聞いた私は、早々に在宅介護の破綻を認識し次の段階を考えるに至るのである。

 

これ以降、父の口癖は「コンビニへ連れていけ」「郵便局へ連れていけ」「高円寺(の不動産屋)へ連れていけ」「タクシーを呼べ」になる。

独り暮らしの父

在宅介護の始まる前に実家から回収した大量の書類(通知書や領収書)を整理する。

独り暮らしだった父の様子が少しでもわかるのではないかとすべてに目を通す。

年別に送付元別に仕分け。役所から年金機構から通販会社からといろいろ。不要なものを廃棄し保存しておいたほうが良いと思われる控えをファイリング。見えてきたのは直近10年の間に貯金が底をついてしまったこと。にもかかわらず家電や服を買っていたこと(70歳を過ぎたころから認知症の症状がでていた?)。いや、どちらかと言えば生活が単調で生気が少しづつ失われていったように感じる。ついにはかんぽ生命の掛け金を滞納、督促を無視?した結果、強制解約されていた。無視というより払えなかったと思う。年金収入だけで貯金もない状態だから残高不足のことも多々あったのではないか。あと、銚子市役所から生家の固定資産税の督促も数年分についてきていた。用紙が赤紙なのは驚き。そういえば銚子の家の相続を放棄するようなことを電話した時に聞いた覚えがある。もしかしたらこの件がきっかけだったのか。

仕事しなくなって毎日映画を見ながらつつましながら悠々自適な暮らしをしていると思っていたが徐々に乱れてきたようである。病院での検査で隠れ脳梗塞ありとの診断だったことからも本人の自覚がない中、脳機能が壊れていたのかと思うと・・・。

 

在宅介護はじまる

いよいよ高沢病院を退院。我が家での在宅介護が始まる。といってもどちらかと言えば同居に近い感じ。毎日デイサービスに通い体力維持しつつ認知症の進行が少しでも緩やかになればと期待を持つ。しかしこの期待は1週間で崩れることになる。デイサービスが退屈だと言い始める(レクリエーションに参加し交流をする社交性はないのは分かっていたが・・・)。私が帰宅すれば「現金を下ろしたいから郵便局へ連れていけ」と毎日のように言う(この時、治療費で預金残高はほぼゼロであったので下ろしたくても下せないのが実際)。毎回説明するも今度はカミさんにタクシーで連れてけ、息子にも同じ要求をし始める。

 

3月、土日はデイサービスがないことから一日をテレビ、ビデオ、と昼寝を繰り返していたが、ある時、散歩に行きたいと言い出す。良い兆候だと思い一緒に出掛けるものの50mも進んでは腰かけてしまう。想像以上に足腰が弱っていたことに驚かされる。初日は近くの自販機でコーラを買って戻ることに。その後、デイサービスがない日の散歩(と言っても自販機でジュースを買ってくるだけ)が日課となるがそれを境に「タバコが吸いたい。買い置きを出してくれ。どこにしまった。」と言い出す。さすが火の始末に不安があること。医師からもタバコはやめさせるように忠告されていたことから「処分した」とうそを言ってごまかす。が「吸いたい」という欲求の強さ、人間の欲望の強さを感じる出来事が起きる。

 

その日、何も言わず黙って家を出る。気づいた息子が後をつけると50mほど先で一休み。また50m先で一休みと歩き続けていると私に伝えてきた。さすがに私も心配になり、後を追いかけ父に声をかける。曰く「タバコを買いにコンビニへ行く」というのである。「場所分かる?」と聞くと「分からないけどあるていればその辺にあるだろ」とある意味正しい返事が返ってくる。ただ何時間かかるかわからないから一番近いコンビニへ連れていくことにする(それでも500mはある)。2時間かけてコンビニでタバコを買い求めたのである。家の中では吸わないという約束で喫煙を認めてしまったのである。

 

この後、現金・タバコ・独り暮らしが父にとっての最重要項目となり親子関係に溝が生まれることとなる。

実家を引き払う

2021年を迎えて早々に引っ越しを敢行。家電、家具類、自分の子供時代の品物など大型荷物を業者さんに依頼して運び出す。翌週には不用品処理を別の業者さんへ依頼し、仕事道具、金具・釘や動かない家電等を処分していただく。扇風機が4台も出てきて驚く。部屋から全てを運びだした後の状態を見渡して思い出す。5歳の時、両親に連れられてこの部屋を最初に見た時のこと。たしか近所のスーパーでプッチンプリンを買ってきて部屋の中で食べたこと。対して印象的ではない出来事なのに、頭の中に強烈なインパクトを与えたのかと認識とのギャップを感じる。鍵を管理室に返却して43年暮らした実家(自身は15年しか暮らしていないが)は無くなった。

 

この間、毎週面会に行くが、言われるようになったのは「タバコが吸いたい」「生活費を下したい」「病室が臭い(トイレの臭いが漂うらしい)」といった事柄。臭いの件は扉ではなくカーテンでの仕切りだけのため確かにそのおそれはあるなと納得。一方、タバコの件は何としても阻止したい。健康上の理由もあるが、認知症の状態で裸火を扱わせるのは危険だと感じている。というより火事を起こされては自分の人生が崩壊するのではないかと強い危機感を覚えた。心配し過ぎだと自らに言い聞かせつつも「タバコ」と言われるたびに苛立ちを感じるようになる。

 

在宅介護については市の支援センターからケアマネジャーの紹介をいただきケアプランの作成、通所のデイサービス、介護ベッドの手配を進めることになった。当時、中小企業大学のセミナー参加のため月5日の寮生活もありその間のショートステイの調整も進めていただいた。一番最初のケアマネジャーさんがとても親身になっていただける方で救われました(この方を基準にしてしまい以後のケアマネジャーさんに失望を感じることに・・・)。